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yoshimasa nakazuu

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国王ジョージ5世と王妃メアリーの次男ヨーク公アルバート王子(後の国王ジョージ6世)は、妹メアリー王女の結婚式で花嫁介添人(英語版)を務めたエリザベス(スコットランド貴族の第14代ストラスモア伯爵クロード・ボーズ=ライアンの末女)と、1923年4月26日にウェストミンスター寺院で結婚した。ヨーク公アルバートは、1925年に開催された大英帝国博覧会(英語版)の総裁を務め、この頃、妃エリザベスの懐妊が判明した。 翌1926年4月21日午前2時40分(BST)、ロンドン市内のメイフェア地区ブルートン・ストリート(英語版)17番地に所在する母方の祖父の家において、ヨーク公夫妻の間に、第一子・長女として誕生する。出産は帝王切開であった。 4月27日、ヨーク公夫妻は、母エリザベス妃、祖母メアリー王妃、そして1925年11月に崩御したばかりの曾祖母アレクサンドラ王妃から名を取って「エリザベス・アレクサンドラ・メアリー(Elizabeth Alexandra Mary)」と命名した。家族からはリリベット(Lilibet)の愛称で呼ばれていた。5月29日に、バッキンガム宮殿内のプライベート・チャペルで、ヨーク大主教のコズモ・ラング(英語版)によって洗礼が施された。 祖父ジョージ5世は、初の内孫であるエリザベスを溺愛しており、1929年に自身が大病を患った際も、「彼女が定期的に見舞いに訪れたことが、病気の回復を早めるのに一役買った」と言われている。 1930年、4歳の時に、妹マーガレットが誕生した。ヨーク公爵一家は、ウィンザー城近傍のロイヤル・ロッジ(英語版)で生活した。 当時は、「結婚(将来)が保証される上流階級の女子には、教育は不必要」という慣習のある時代であった。しかし祖母メアリー王妃の方針により、姉妹揃って宮廷内で教育を施された。家庭教師マリオン・クロフォード(英語版)(愛称:クロフィ)は、当時23歳で、はじめ母エリザベス妃の姉ローズ(英語版)の婚家であるグランヴィル伯爵家に雇われる予定だったが、ヨーク公爵家に変更された。クロフィは、エリザベスの結婚まで17年にわたって仕えた。 クロフィの回想録(『The Little Princesses』)によれば、「エリザベス王女は、この頃から馬や犬などの動物好きで、規律正しく責任感の強い性格であった」とある。また後に彼女の治世となって最初の首相となるウィンストン・チャーチルも、当時2歳だったエリザベス王女に接して「子供ながら、驚くほど威厳と沈思のある態度だった」と回想している。 出生時における正式な称号は、Her Royal Highness Princess Elizabeth of York(エリザベス・オブ・ヨーク王女殿下)であり、伯父の王太子エドワード、父のヨーク公アルバートに次いで、第3位の王位継承順位にあった。エリザベスの誕生は世間の関心を集めたが、当時は、まだ壮年かつ独身だった王太子のエドワードへの王位継承が期待されており、国王の次男の長女である彼女の即位を予想する者はいなかった。しかし、放蕩な長男エドワード王子について、ジョージ5世は次第に次男アルバート王子とその娘エリザベスへの継承に期待するようになった。